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石工はその労力と時間をかけた割には出来あがったものに自分の名を刻むようなことをしない。
それはあれだけの優れた仏像を造った貞治とておなじである。
ただ、生涯に作った三百三十余の作品を思い出して記録に残していた。
それが「石仏菩薩細工」である。
これが残っていなければ貞治が知られることはなかっただろう。
記録といっても石仏の名前と場所、後は願主だけである。
場所は村の名前か寺の名前だけ、願主に至っては「婆々」といった塩梅。
此の手掛かりだけで探しだした功績は曽我原吉郎氏である。
「貞治の石仏 幻の石工を求めて」講談社昭和44年11月に詳しい。
廃仏毀釈で破壊されたまま捨てられていた状態から発掘されたものまである。
氏は会社勤めの傍ら始めた宝探しだったわけだがその功績はおおきい。

守屋貞治の家系は守谷である。
戸籍が作られた時のまちがいではないかといわれている。
私は推察する。
貞治は高遠の塩供である。
諏訪から杖突峠を越えて高遠に下る途中の村である。
諏訪には諏訪神社の神官で守矢という神長官家がある。
長く続いた諏訪神社の運営を牛耳っていた。
何らかの縁があったのかもしれない、同じ姓を名乗ることはできないはずで一字屋に変えたのではないか。
名字を名乗れるほどの家系であったろうし、そうでなくても苗字を買える財力もあったと思われる。

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2014.08.11(12:35)|貞治仏コメント(0)TOP↑
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