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真福寺の墓地に大きな如意輪観音があるというので、この寺なら何回もお邪魔している、そんなものあったかなぁ、見落としているかもしれないと行ってきた。
私はいつも私道とは知らずに車を走らせ境内の片隅に停めて写真を撮っていた。
真福寺の裏山は墓地になっている。
探してみたが見当たらない。
裏手には観音堂があって何時もは閉まっている。
正月の護摩の時だけ開帳しているのだという。
ひょっとしたらこのお堂に納まっているのかもしれない。

三小の東側は青梅街道に接している。
その更に東側は山で木々が覆いかぶさっている。
そこは堂山という墓地で、ここも真福寺の墓地であった。
真福寺は多摩地方には22もの末寺を持つ真言宗豊山派の寺である。
かつては三小のある屋敷山からこの堂山まで寺の所有だったのかもしれない。
学校の東側にある入りの天満宮も更に先の熊野神社、八幡社、稲荷社なども明治以前は真福寺持ちであったという。
青梅街道は屋敷山と堂山の間を割り切りにして通したもののようだ。
学校というものは近くに墓地などあろうものならたちまち誰かが幽霊話をでっちあげる。
子供は天才だからねぇ
それにしても小学生は大変だ、毎日山に急坂を登らなければならない。
そんなことを思いながら堂山を登った。
くだんの如意輪観音は十王堂の隣に立っていた。
石像にしては珍しい一面六臂で堂々たるものであった。
総高154センチ慶安五(1652)丑女敬白と銘にある。
素晴らしい石仏であった。
これほどの石仏はちょっとないだろう。
丑年生まれの女とはいったい誰だろうか。
念仏講のような女性の集まりが江戸時代の初期には存在していたのだろうか。

P7030055.jpg
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2014.07.17(08:31)|石仏賛歌コメント(0)TOP↑
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