八王子の昔話にこんな話がある。
疣をよく取ってくれるという評判のお地蔵様が寺田にあって、お地蔵様だがみんな疣神様とよんでいる。
その取り方が変わっている。
荒縄できつく縛り上げて「やい地蔵 この疣を取れ 取れれば縄はほどいてやる もしとらなければもっときつく縛ってしまうぞ」と言い渡すのだ。
あるとき、庄屋の娘の顔に疣ができてしまい両親は心配して評判の疣神様におたのみ申すほかあるまいと、娘に言い聞かせた。
「いいか、できるだけきつく縛るのだぞ そうしないと聞いてもらえないからなぁ」
娘は朝早く起きて縄をしょって疣神様へ行った。
口では「やい 地蔵 この疣を取れ・・・」と呪文を練習しながら歩いた。
やっと疣神様のところについて縄を背中から下して、さてと、縛ろうとした。
ところが、そのお地蔵様の顔をみているとどうしても縛ることができない。
とても荒縄で縛るなどということができないような優しい顔をしているのだ。
娘は何度も縛ろうとしたがどうしても縄をかけることができずに、疣なんか取れなくてもいいと縛るのを止めてただお祈りだけして帰った。
しかし、娘の疣はすぐに取れたという。
寺田は八王子と相模原の間にある町だ。
今でも上寺田のバス停の近くにそのお地蔵様はあるという。
この話を聞いて、是非お顔を拝みたいとおもっていた。
お地蔵様の顔というものは素朴で何とも優しいお顔のものが多いからである。
この正月、思い立ってそれを訪ねてみた。

近くで畑仕事をしている方に訪ねると、お地蔵さんといっても分からないようであったので疣とり地蔵といったら、「あぁ 疣神様」といまでも疣神様でとおっているらしくすぐに教えてくれた。
それは二基の馬頭観音と一緒に崩れ去ろうとしているようであった。
畑の隅に、ほとんど気をとめる人などいないとおもわれるようなひなびたものであった。
風化がひどく衣でやっとお地蔵さんであることがわかるけれど、見たいとおもっていたお顔はほとんど剥がれ落ちている。
基部も崩れ落ちて立っているのが不思議なほどであった。
これがほんとうにあの疣神様だろうか。
そうおもいあたりを探してみたがこれ以外に石仏はない。
やはりこれがそうであろう。
長い間に雨風に晒されてこんな姿になってしまったらしい。

左手は宝珠を持っていたのだろうか。
大きな亀裂が痛々しい。
右手には錫杖を持っていたものか、下に向かって剥がれ落ちている。
右側に宝永三・・・・・(1706)と年号が読める。
三百年も経っているのだ。
むりもない。
ずっと荒縄で縛られ続けてきたのだから。
昔はきっといいお顔をしていたに違いない。
そうでなければこんな話が伝わるはずがない。
疣取りや縛り地蔵の話は各地にのこっている。
疣というものが昔は多かったのだろうか。
願掛けかどうかわからないがビニールの紐が一本巻かれていた。

疣をよく取ってくれるという評判のお地蔵様が寺田にあって、お地蔵様だがみんな疣神様とよんでいる。
その取り方が変わっている。
荒縄できつく縛り上げて「やい地蔵 この疣を取れ 取れれば縄はほどいてやる もしとらなければもっときつく縛ってしまうぞ」と言い渡すのだ。
あるとき、庄屋の娘の顔に疣ができてしまい両親は心配して評判の疣神様におたのみ申すほかあるまいと、娘に言い聞かせた。
「いいか、できるだけきつく縛るのだぞ そうしないと聞いてもらえないからなぁ」
娘は朝早く起きて縄をしょって疣神様へ行った。
口では「やい 地蔵 この疣を取れ・・・」と呪文を練習しながら歩いた。
やっと疣神様のところについて縄を背中から下して、さてと、縛ろうとした。
ところが、そのお地蔵様の顔をみているとどうしても縛ることができない。
とても荒縄で縛るなどということができないような優しい顔をしているのだ。
娘は何度も縛ろうとしたがどうしても縄をかけることができずに、疣なんか取れなくてもいいと縛るのを止めてただお祈りだけして帰った。
しかし、娘の疣はすぐに取れたという。
寺田は八王子と相模原の間にある町だ。
今でも上寺田のバス停の近くにそのお地蔵様はあるという。
この話を聞いて、是非お顔を拝みたいとおもっていた。
お地蔵様の顔というものは素朴で何とも優しいお顔のものが多いからである。
この正月、思い立ってそれを訪ねてみた。

近くで畑仕事をしている方に訪ねると、お地蔵さんといっても分からないようであったので疣とり地蔵といったら、「あぁ 疣神様」といまでも疣神様でとおっているらしくすぐに教えてくれた。
それは二基の馬頭観音と一緒に崩れ去ろうとしているようであった。
畑の隅に、ほとんど気をとめる人などいないとおもわれるようなひなびたものであった。
風化がひどく衣でやっとお地蔵さんであることがわかるけれど、見たいとおもっていたお顔はほとんど剥がれ落ちている。
基部も崩れ落ちて立っているのが不思議なほどであった。
これがほんとうにあの疣神様だろうか。
そうおもいあたりを探してみたがこれ以外に石仏はない。
やはりこれがそうであろう。
長い間に雨風に晒されてこんな姿になってしまったらしい。

左手は宝珠を持っていたのだろうか。
大きな亀裂が痛々しい。
右手には錫杖を持っていたものか、下に向かって剥がれ落ちている。
右側に宝永三・・・・・(1706)と年号が読める。
三百年も経っているのだ。
むりもない。
ずっと荒縄で縛られ続けてきたのだから。
昔はきっといいお顔をしていたに違いない。
そうでなければこんな話が伝わるはずがない。
疣取りや縛り地蔵の話は各地にのこっている。
疣というものが昔は多かったのだろうか。
願掛けかどうかわからないがビニールの紐が一本巻かれていた。


