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ブログの拍手という項目でコメントが書けるとは思っていませんでしたので、以前の記事に書き込みして頂いた方々には失礼しました。
コメント欄に悪戯された時期がありましたのでしばらく書き込みを禁止していたのです。
今は解除していますのでよろしくおねがいします。
こんなジャンルの場合は訪れてくれる方も少なくコメントは大変ありがたくおもいます。
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2011.09.16(08:26)|未分類コメント(0)TOP↑
ここには椀状穿痕は無かった。
よかった、たとえたたりの神社であったとしても椀状穿痕は信仰とは関係ない。
まして陣屋とすれば、それこそ政治とは関係ないとおもうから。
ただ、神社の入り口、青梅街道の縁に一メートルほどの自然石があって、礎石にしたものか多少加工のあとがみえる石が草になかば覆われていた。
この石に椀状穿痕とおもわれる凹みがあったのだが写真には撮れなかった。
この神社よりわずか東にしだれ桜で名高い金剛寺に分かれる道がある。
その角に南無大師遍照金剛の石碑がある。

DSC04649-.jpg

これは大層立派な作りで見上げるように大がかりなものである。
この礎石の周りには椀状穿痕がいくつも取り巻いている。

DSC04767.jpg

今では道の路肩にあってそこに登るには危なさそうな位置だが、昔は金剛寺に下る辻で広々としていたのではないかと想像する。
あたかも子等が何人もで取り囲んで何かの遊びに夢中になったものか、二段の礎石は丁度石のテーブルのように子等が囲んで叩くにはもってこいの形をしている。
そうであった証拠はないが、この礎石を見ているとそんなふうに遊んでいた姿が目に浮かぶのである。
2011.09.12(16:37)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
青梅街道は江戸から青梅まで、その先は甲州に通ずる裏街道だった。
椀状穿痕は青梅までよく残っているがその先は期待できそうもないからと、まだ見て歩くことをあまりしていない。
ただ、街道を青梅の駅から少しいったところに小さな神社があって、その神社を道が迂回するかのようにそれている。
道を通すために神社を遷そうとしたらたたりがあって、道の方を曲げたという、よく聴く話である。
そんな感じに街道が迂回しているからずっと気になっていた。

img272.jpg

実際に行って青梅街道から熊野神社を望むと明らかに道の方が遠慮して迂回しているように見える。
ところが街道を作るにあたって神社を移動したいなどという話はないし、そんな気配もないようだ。
ここは家康が江戸幕府を開いたころ、天正十八年大久保石見守長安が陣屋をおいた場所で延亨元年陣屋を廃止後、鎮守としたものという。
もともと街道は曲がっていたのだろう。
考えてみると交通量が多い重要な街道という訳でもない。
社は立て替えたもので今でも当時の白樫がそびえたっている。

DSC04764.jpg

つづく
2011.09.10(07:18)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
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