ホームページの紹介
http://www5.plala.or.jp/gyumei/
写真や絵手紙など牛鳴HPの玄関先です「牛鳴さんちのたからもん」

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.--(--:--)|スポンサー広告||TOP↑

山本昇雲こどもあそび-
明治になると誰でも同じ学校に通うようになる。
遊びは神社やお寺、道祖神場が多かったのではなかろうか。
今の子供は神社などで遊ばなくなったのはなぜだろうか。
誰もが同じ学校に通うようになると
おのずと小集団ができて、それは村や地区ごとに集まったようだ。
競争意識もたかまったはずである。
このあたりから椀状穿痕は始まったのかもしれない。
スポンサーサイト
2011.06.26(08:37)|浮世絵の子供達コメント(0)TOP↑
img248-.jpg
驚くことはこんな子供でも草書から篆書まで書いていた。
この子が今にタイムスリップしてもいっこうに困らないだろう。
今の子が江戸時代に行ったら文盲に等しい。
さて十二歳ぐらいで卒業すれば丁稚見習いとして大人の仲間入りである。
ここにも道祖神を石で叩くような遊びの余地はなさそうである。

2011.06.21(07:13)|浮世絵の子供達コメント(0)TOP↑
やがて七歳ほどになると寺子屋にゆく。
といっても武士の子は私塾や藩校で剣術の稽古、百姓は物心つけばもう働き手である。
寺子屋は商人の子供だけ、初めは少数だったようだ。
それが江戸も末期になると寺子屋は繁盛する。
お菓子を出し月代まで剃ったといい、お師さんは親よりも信頼された。
筆塚の数から推察すれば今の小学校の数よりずっと多かったらしい。
いたずらも多かったようである。
img253-.jpg

2011.06.16(09:14)|浮世絵の子供達コメント(0)TOP↑
湖龍斉楊香-
子供はみんなこんな格好をしていたのだろう。
着物の前がはだけてちんちんが見える。
「ちんぽこに西瓜の雫たらして児のきげんよし」
「涼む子のおそそが見えたりして涼しいかぎり」
大橋裸木の句である。
2011.06.09(08:47)|浮世絵の子供達コメント(0)TOP↑
石川豊雅八月-
浮世絵に見る子供たちの髪の多様さはどうだ。
実にさまざまな形をしている。
丸坊主、唐子、文字通りの河童・・・から髷までそろっている。
年恰好からするとそれほど違いはなさそうだ。
頭以外はみんな似ているがこれなら子供を間違えることはなかろう。
子が生まれると髪の毛は七日目にそぎ落とされる。
棄髪という。
子供の頭髪は不浄とされたのだ。
だから伸びればそぎのびれば削ぎして丸坊主だった。
そういえば私の子供のころもバリカンで坊主頭にされて毛は道端に捨てられた。
他人に踏んでもらうのである。
三歳になると髪置きをする。
頭の頂き、前、両側の鬢、盆のくぼという後ろ側などの毛を伸ばし残りは削いでしまう。
初めは日が決まっていなかったようだが次第に十一月十五日がその儀式になって、吉方に座らせ櫛で左右の鬢を三度ずつ掻きすが糸(麻糸)を担がせて産土神に参る。
赤飯に南天の実をつけて近所に配った。
これには男女の区別はなかったというが浮世絵では女の子は見当たらない。

2011.06.05(08:48)|浮世絵の子供達コメント(0)TOP↑
プロフィール

牛鳴

Author:牛鳴

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。