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今年は寅年だから故郷では御柱が曳かれる。
今頃は宮川学校下で木落としの最中だろう、今年の本宮一は何処の村が当たったのだろうか。
毎回まいかい怪我人がでるのが当たり前の荒い祭りである。
木落とし、川越しのあと安国寺で休んで五月になると里曳きである。
里曳きともなると故郷高部の大道も人で埋まる。
御柱は古く恒武天皇の時代から欠くことなく続いている。
おそらくはもっと以前、土中に据えた社の芯柱が朽ちる頃になると山から曳いてきたに違いない。
諏訪の祭りは諏訪人の奉仕である。
諏訪中の人が集まるのだから大変な騒ぎで入用も多かったのだろうが、そこは七年に一度といっては誰もケチらなかった。
うちでもありったけの酒と肴をこしらえて振舞った。
誰でも勝手に家に入って飲み食いしてもいいことになっている。
期間中酒肴がないなどということは恥なことなのである。
諏訪は三万石の小藩である。
石は面積から算出される。
検地は時々実施されたが実際の面積ではなく収穫につながるもので日陰や肥痩の考慮もあった。
その辺は役人の裁量でお情け竿やゆるめ縄が賄賂によって使われるのは普通のことであったから、諏訪の三万石は実際には五万石ぐらいの実力があったのではなかろうか。
検見取りでなく定免だったから働くほどに余裕がうまれる。
検地で使われる賄賂は御柱一回分もの入用だったが二三年も経てば元が取れたという。
御柱のお祭りを欠かさずやるにはそんな律儀さと狡猾さが必要であった。
いまはどうなんだろうか。
諏訪ではどんな小さな神様でも御柱が立てられる。

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2010.04.04(13:56)|未分類コメント(0)TOP↑
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