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写真や絵手紙など牛鳴HPの玄関先です「牛鳴さんちのたからもん」

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善光寺の本尊は一光阿弥陀三尊という。
鎌倉時代以降秘仏となっていて、ここ数百年間だれも見たものはないのだという。
それこそまさに秘仏というものだ。
伝えでは日本の最初の仏像といわれ、552年百済の聖明王が欽明天皇にもたらされたもの。
蘇我、物部氏による国の宗教は仏か神かの争いで佛難は何回も続き、そのいずれかの際に難波の堀江に捨てられたものを国司として従って都にいた本多善光というものが拾い持ち帰って祀ったとされる。
寺の住職とて見たことがないのだから本当にあるのか疑われてもしかたがない。
七重の錦で包まれ、十枚の白布で巻かれ,七重の厨子に納められているというのだが、厨子の大きさが三尺五寸というからそれほど大きな仏像ではないようだ。
重さ六貫三百、金銅佛である。
最古の仏像ということもあってその足取りは波乱万丈だった。
寺が火災にあうこと十数回、戦国の世では信玄によって甲府に移され、信長によって岐阜へ、秀吉による京、家康の尾張と転々として1598年に元の善光寺へ戻ったとされる。
そんな秘仏だから、今は前立阿弥陀三尊という写しをこしらへてあるものの、それさえも七年に一度しか見ることができない秘仏なのである。

80.jpg
昔だっておなじこと、各地では写しを作ってそれをずっと拝んでいた。
実は、私の生家にある石仏がその阿弥陀三尊石像である。
何故うちにあるか、それを伝へる話では、何代かまえのこと、多分廃仏毀釈のころとおもわれるが、杖突峠で三つの太陽が現れたことがあり、これは不思議なことがあるものと、驚いたその折に見つけたもので拾い持ち帰ったものという。
蘇我、物部氏のような佛難は明治にも起こってしまった。
廃仏毀釈である。
多くの石仏は首をもがれ捨てられた。
幸い、舟型光背のそれは割られることなく残されたのだ。
阿弥陀仏の顔は欠けていて残念だが、左右の勢至観音菩薩の顔からそのふくよかな様子を伺うことができる。
彫りも石仏にしてはまれにみる緻密さである。
杖突峠は諏訪と高遠の境にある。
麓の人は昔から勤勉で日の出前には杖突峠まで登り山仕事をした。
杖突峠からの諏訪盆地の眺めはすばらしいものだ。
そこから真東は八ヶ岳の赤岳である。
諏訪は日が昇るのは何時も八ヶ岳からなのである。
調べてみると丁度赤岳から日が昇るのは三月の五時半ごろと九月下旬の六時ごろである。
正月頃だと八ヶ岳の西側のはずれからであり、四月ごろまでには天狗岳あたりに移動する。
太陽が三つ現れたというのは幻日現象といわれるもので上空に氷の粒を持った雲があるとまれに発生する。
本当の太陽と22度ずれたところに幻の太陽が見えると現象である。
私も富士山の裾で見たことがあるけれど二つしか見えなかった。
もし赤岳から日が登ったとすれば左の太陽は北八ヶ岳の丸山あたり、右は編笠岳の裾あたりだろうか。
こんな気象現象が起これば誰だって何か良いことがあると思うものだ。
そんな折に見つけたとすれば天の授け物、あたかも仏様が見つけてくれるための知らせをしたように感じたにちがいないが、廃仏毀釈の世であればひっそりと屋敷の隅に安置せざるを得なかった。
秘仏ゆえに善光寺様式の仏像がよくつくられたとはいうものの、石仏では九州や広島、京都に例をみるものの残るものは決して多くはない。
高遠は仏像の石工が多いところである。
これもその高遠の石工によるものに違いないが、高遠の全石仏リストには見当たらない。
茅野や諏訪にもリストがないからわからないが、類似の石仏は多分ないとおもわれる。
善光寺様式の阿弥陀如来が結ぶ印は右手に施無畏印、左は手を下げ人差し指と中指をのばした刀印であるが、これは刀印ではなく阿弥陀立像によくみられる九品の来迎印である。
見たことのない秘仏だから細かくは石工が知らなかったのかもしれない。
両脇持の印は胸で両手を合わせる梵篋印で善光寺様式の特徴である。
善光の持ち帰った阿弥陀三尊は皇極天皇の御世になって勅旨によって伽藍が建た、名をとって善光寺となった。
さて、このわが石仏はどうなるか。
大事に残したいものである。



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2009.08.25(13:13)|石仏賛歌コメント(0)TOP↑
うかつに駒込と云おうものなら、ひょっとして「こまもめ」といったかも知れないとおもわず言い直してしまいたくなるような気持ちになるのは舌が短いせいだろうか。
JR駒込駅から南に下がると徳源院という禅寺がある。
もっともこの界隈は寺ばっかりだが。
山門をくぐってすぐ左に猿田彦太神の石塔がある。

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元は前の道に向かって立っていたはずだ。
すぐ こまごめ
みぎ そめい

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千多木
やなか

昔は誰でも読めた文字がたった百年、二百年で読めなくなるとは我がことなれどいまいましい。
文化四丁卯年二月吉祥日 再建
再建とは建てなおしたのか改刻したものかわからないが、そんなことよりも基台に穴ぼこがあいているのに驚かされる。

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梅雨時で穴には水がたまり苔が生えていて風情がある。
椀状穿痕は郊外に多く見てきた。
それが遊びか呪いか謎であるとはいうものの、流行があったとすれば震源地は江戸のはず、あまり見かけないのは度重なる災難や道路整備で失せたものだろうか。
今では叩く石さえ見つからない都心である。
こんな凹みは、良く言われるように草を入れて餅つきにたとえて遊んだとはとうていおもえない。
どうしてって、これじゃこぼれてしまうだろう。




2009.08.22(12:49)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
P1030297.jpg

子供のころを思い出してみる、どこで遊んだんだろうかと。
一番遊んだ場所は辻であった。
そこではかくれんぼも鬼ごっこもできた。
道祖神や相本神社のこともある。
こんな場所は石塔に登ったり神木にのぼったりした。
もっと手軽に遊ぶには大道で棒野球やメンコをした。
友達の家のだしのこともある。
石けりや釘打ちもした。
農家というものは本当に忙しくなると子供の手なんかあてにしない、邪魔になるだけだ。
そんな時はおもてで遊んで来いと追いやられるのが関の山なのだ。
大抵は子守というおまけも付く。
ようするにおもてとは広い場所のことである。
子供のころ広いと感じていたそれらの場所は、今帰ってみても車を止められないほど狭い。

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近くの東大和市に狭山神社がある。
田舎の相本さまもこんな感じの神社だった。
この神社の石段をよく見ると穴ぼこがあいている。
子供たちが石で叩いて遊んだものだろうか。
両側の縁石だけでなく石段にも穴ぼこがある。
昔は、田舎の相本神社のようにおまつりでもなければ滅多に人のこないところだったんじゃなかろうか。
何故、石段なのだろうか。
一人ではこんなところで遊ばない。
何人かがふざけあいながら、そんな友達との間隔を保ちながら遊べる場所は神社や石段だったのではないだろうか。
それには勝ち負けが伴った。
誰が一番深い穴を・・とか、一番大きな穴を取るのはじゃんけんか、メンコか・・・
ビー玉で勝負とか・・・
それが人間社会のルールを学ぶことでもあったのだ。
子供だって夢中にならなければ石が凹むほど叩きはしないだろう。
まして、ただ草を入れて叩くだけというような遊びで満足するはずはない。

P1030296.jpg
2009.08.13(12:48)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
P1020974.jpg

石段を登ると本殿がみえる。
両脇には狛犬と灯篭が一対ずつ並んでいる。
右側の灯篭の前には囲いがつくられ力石が三つおいてある。
力石というより、河原の石のような形である。

P1020984.jpg

本殿の右側の石段の外側に石で囲まれた細長い石が草におおわれている。
これも力石だったのではなかろうか。
そのことは力石の案内板には書かれていない。
力石といってもしばらくはこんな形で忘れられていたのではないかとおもう。
実は力石のことではなく灯篭の基台についている傷が気になっているのである。

P1020976.jpg

引っ掻いたような溝が幾つもみえる。
よくある椀状穿痕ではない。
これは一体何の傷だろうか。
単なるいたずらだろうか。
ぐるっと四方に施されている。
一対の灯篭のうち本殿に向かって右側のものにはこんな傷は全く認められない。
その右側の灯篭には
昭和五十七年九月吉日奉納と記されている。
ところが左側の中段の基台には年号はないものの武州多摩郡蔵敷村 講中とあり名前が刻まれている。
ということは灯篭の奉納に際し基台は前のものを使用したということであろう。
昭和五十七年に武州はない。
本殿の左側には壊れている石灯籠の笠石などが捨て置かれている。
ただ、そうだといっても右側の基台にだけ傷のあることの説明にはならない。
講中の名前のうち特定の三人の名前だけが消されるような形で傷つけられている。

まさか呪いのようなものではないとおもうけれど基台の線状の傷と関連するのだろうか。

P1020977.jpg

この線状の傷は子供の仕業でベイゴマでも研いだものだろうか。
えぐれている形はV字ではなくU字型に角ばっているから違うようにみえる。
なにかとがった棒状のものでこすって、あるいは引っ掻いてできた傷のようだ。
一人の仕業ではあるまい。
大勢で一斉に何かしたのだろう。
椀状に穴を穿つ前段階だろうか。
ひとつだけ椀状の穴も確認できる。
それにしてもこんな線状の穿痕は初めて見るものである。

P1020981.jpg

2009.08.06(09:45)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
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