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写真や絵手紙など牛鳴HPの玄関先です「牛鳴さんちのたからもん」

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中野区鷺の宮に福蔵院という立派な寺がある。
屋根瓦をすきこんだ塀で囲まれた入り口をたどると、左側に随分高い馬頭観音が立っている。

P1020801.jpg


これだけの高さになるとひっくり返ることだってあるだろう。
像は傷ついて補修された跡がなまなましい。
持ち上げられた足の部分には馬頭観世音菩薩と天下泰平 国土安穏の文字がある。
側面には天保五午年 講中三十七人とある。
一人頭いくらかかったものか、立派なものだ。
その台座の返り花には、かまわず穴ぼこがあいている。

P1020803.jpg

よくみないと返り花の模様と勘違いしそうだ。
ぐるっと穴ぼこがあいている。
そりゃそうだ、これだけの高さがあればここにしか穴は穿てないだろう。
さてさて、何のための穴ぼこか。
ここに来る前に隣の八幡神社で力石に穴ぼこがあいているのを見つけた。
この寺はその別当寺である。
謎はなぞをよぶものだ。

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2009.06.29(07:35)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
P1020785.jpg

西武新宿線の鷺の宮で降りて南側に出ると左手に八幡神社の案内がある。
割と新しくきれいなお宮だ。
境内をグルっと巡ると奥まったところに力石が横たわっている。

P1020788.jpg

全部で十二個ほど、ほどといったのは草に覆われていてよく見えないからである。
それぞれには重さと持ち上げたものの名前がしるされている。
中には新太郎という名前が幾つもでてくるから、よほどの力持ちがいたのだろう。
力石は各地のお宮でよく見かけるものだけれどこんなに沢山あるのにはびっくり仰天である。
三十六貫余とか五十貫余などというのもみえる。
「でぶでぶ百貫でぶ電車にひかれて・・・」などと子供のころ囃したものだが、百貫目とはどのくらいなのかは知らなかった。
一貫目は3.75kgだから五十貫の石は180kgを超える。
そんな石をひょいと持ち上げるような力持ちがほんとうにいたのだろうか。
いたら爪の垢でも煎じて飲みたいものである。

この石、よく見ると穴があいている。
自然の石の穴ではないようだ。
これは道祖神や庚申塔によくみられる椀状穿痕ではないだろうか。
これほどの力持ちにあやかろうと石で叩いて粉でも舐めたのだろうか。
あるいはこんな力持ちの強い子に育ってほしいと、子の親がお参りにきて願かけに石で叩いたのだろうか。
いきおいで爪の垢でも・・・などといってしまったが、こんな石は舐めたくはない。
さて、力石、今となっては草に覆われて覗く人もいない。
ただ、どくだみの花がひっそりと彩っていた。
2009.06.27(09:02)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
あきるの市の瀬戸岡に珠陽院という寺がある。
その墓地に奇妙な墓石があった。
白い石で石灰岩だとおもう。

DSCN1208.jpg


奇妙なのは穴があいていること。
上の方にも奇妙な穴がある。
墓石に墓誌を刻んだのは素人か、朴訥な文字である。
大姉とみえるから女性の墓、いったいこの穴は何を意味するものだろうか。

2009.06.26(10:27)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
青梅街道をゆくと軍畑という駅がある。
面白い名前だからそれなりのいわれがあるのだとおもっている。
その駅から青梅街道を北にわかれると雷電山への登り口付近に覆屋があって地蔵さんと不動さんが祀ってある。
それがどういうものなのかは案内板もないし聞くべく人も見つからないのでわからない。
もう少し先にある高水山の波切不動の方が名前を知られているから、こんな路傍の不動尊はだれも目に停めてくれないものか。
目にとまったのは不動尊の脇にあった鏡餅のような石である。

DSC_8601.jpg

これを見た時、「郷土」の臼道六神ではないかとおもった。
「郷土」は昭和七年発行の本で石についての特集号である。
じつに多くの石についての見聞が記されていておもしろいものだ。

img095.jpg

その中で
「埴科の石を拾う」野中太氣彦の記事を(埴科は信州の地)抜粋すると
道祖神の碑は郡内至る所に見受けられるが道六神と銘のあるのは少ない。
道六神は慶長の検地帳名所などにも見えてゐるし、碑の中でも自然石などを用いた小型の無銘のものは大てい道祖神と呼ばずに道六神と呼ばれてゐるところから、この辺では道六神の方が古い称呼であるとおもっている。
そしてこの道六神の中には病気などに御利益のあるものをまま見出すことがある。
南條村の新地部落の東裏の方に臼道六神がある。
それは陰陽を象ったものではないかと思われるが、くつめきに御利益があり御礼にはひとから豆を炒ってあげる。
同村の金井部落東方畑の畔にあるきかく道六神は径六寸位高さ一尺五寸位の円鋳型で、子供の耳だれに御利益があり年の数だけ錐の形をつくってあげる。
倉科村の田端部落には無銘の一対の石を立てた道六神が四組ある。
夫婦の形を表したものだといっている。同村のものは道祖神の銘あるものにもかならず無銘の野石をおいて一対にしている。
二人像を彫りつけた祠形のものは同じく道六神とよばれ建立年代も古い。

軍畑のこれが道六神であるかどうかはまったくわからない。
それにここにある石仏もこの鏡餅のような石もさほど古いものには見えない。
ただ、形は奇妙に一致するではないか。
2009.06.24(09:03)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
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硬い石らしく刻まれている文字は浅くて読めないところがある。
水器とあるから水盤なのだろうが、およそ水盤らしくない。
年号と○○堂は判読できない。

これは八王子の下恩方にある千手山淨福寺だったとおもうけれど正確には失念している。
穴ぼこに水を貯め水盤としているらしいのだがそんな場所ではない。
水盤は参道の入り口にあるものだ。
形が似ているから水器にしたらしい。
こんな形に造ることはないから、自然石あるいは何らかの別の目的を持った石だったと思われる。
しかしまぁ、こんな石があったら誰だって何かに利用したくなるんじゃなかかろうか。

2009.06.23(09:41)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
DSC_0153.jpg

山梨県長坂にある観音寺の庭に奇妙な石がある。
いわく、鬼の手形石といわれ、鬼久保にすむ鬼がある日人里に下りてきてこの坂で滑って転んだ拍子に手を付いた石だと。
この坂は源右衛門坂と呼んでいたがそれ以来鬼坂と呼ばれたと。

くぼんでいる。
その中に指のような形に傷がある。
穴を穿ったものに違いない。
鑿の跡が指のように見えるのだろう。
自然石とは思えない。
こんな伝説のもっとずっと前に塞ぎなどの目的で置かれたものじゃなかろうか。

手形石の伝承は信州の下伊那地方にも伝わっている。
市田村大島山にある疣石は昔、喬木村の九十九谷が百谷だったころ谷底に鬼が住んでいた。
或年の大暴れに一つの谷が埋まって九十九になったとき鬼は居場所がなくなり天竜川を一跨ぎして大島山へ飛び移った拍子に石の上に手をついた。
そのあとが石に残っていて雨水がたえずたまっている。
その水を疣につけるとなおるというもの。
似たようなはなしだから多分そのいしもこれと似たような形をしているに違いない。
似たような石はもっとあるかもしれない。

2009.06.22(07:25)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
DSC_1367高幡長楽寺

日野市の高幡に長楽寺がある。
多摩丘陵に登る斜面に入り口の坂があってその斜面に二基の庚申塔がたっている。
おそらく最初からここにあったものではなく、道路建設に当たってここに移されたものと思う。
それはそれで、いいことなのだ。
こんなにきれいに保管されているのだから。
右側の庚申塔には線香台があってよく見ると穴ぼこがあいている。

DSC_1368高幡長楽寺

花生けの穴の前がくぼんでいる。
隣の庚申塔もこんな穴ぼこ台があって割れてしまったのか別の石に乗っている。
猿たちはこの穴ぼこを穿つとき見ていたに違いない。
話を聞いていたにちがいない。
だめっと叫んでいたにちがいない。
今はなにもいわないが。

2009.06.21(10:14)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
さて、これを謎の仲間に加えてよいものかどうか。
謎のあなぼこというより溶けてしまっている。
葛飾の青砥に法問寺という寺がある。
その入り口に地蔵堂があって三体の地蔵が立っている。
といってもその両端の二体は地蔵であるかそうでないのかわからないほど溶けている。

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二体がとろけてしまったから新しく真ん中の地蔵を作ったようだ。
いわれは何も書いてないが花がたむけられ、線香がたかれている。

P1020675.jpg

これは、これは、叩かれてすり減ってしまったものだろうか。
石質は砂のようにもろい。
たった百年、二百年の年月でも石仏にとってさまざまな災難をこうむってきたはずだ。
叩かれて薬にされたのかもしれない。
廃仏毀釈で転げ回されたのかもしれない。
震災で焼けたのかもしれない。
焼夷弾で焼けこがれたのかもしれない。
どんな目にあわされようとも、仏とわかるのは神仏の偉大さなのであろう。
2009.06.20(08:00)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
青梅街道の武蔵村山市あたりには岸、宿、峰という一文字の交差点の案内があって面白い名前だと思っていた。
その岸という信号を南に入るとすぐの分かれ道に石塔が立っている。

P1020733.jpg

馬頭観世音菩薩と庚申塔である。
すぐ裏はアパートのような建物があって邪魔にされないのだろうかと心配してしまう。
両基とも文化四年丁卯二月吉日
      武州多摩郡岸村
とあり、向かって左側の馬頭観世音菩薩には
     南八王子 大山道
とあるから道しるべとなっていたものだ。

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その中段の基台には椀状穿痕がある。
馬頭観音の方には何のためか木でこしらえた台がかぶせてあってわかりにくいが、やはり穴ぼこがみえる。
後ろに回ってみると後ろにも穴ぼこがある。
道しるべになっているくらいだから昔は辻になっていて、子供たちはむらがってこの周りで遊んだに違いない。
今では叩く石ころひとつ見当たらないコンクリートの舗装道路である。
それどころか、あたりに子供の影さえみえない。


2009.06.18(08:41)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
DSC_1718.jpg
下津金の海岸寺は守屋貞治の百観音で高名である。
鐘楼を過ぎて右手に大きな碑があり、その碑の壇上に石仏が据えてある。
ここの百観音は高遠石工の守屋貞治作ということで、保存しなければいかんというその筋のおたっしらしく、苔むしていた観音はことごとくきれいに洗われて、屋根がつけられて、なんのことはないシャボンだらけの飼い犬みたいになってしまった。
ただ、守屋貞治ではないとされる石仏はそのまんま邪険にされているようだ。
これはどうだ。
体は苔むしている。
屋根もない。
それに据えられている場所は不自然だ。
顔は良くできている。
ただ、なにかへんだ。
体つきは如意輪観音にみえる。
頭部に比べて胴が異常に小さい。
近づいて良く見ると首はセメントで接着されている。
更に冠もつなげられているらしい。
どうやら別のものを合わせたものなのだ。
先だって訪れた時、住職はこの山の地面を50センチも掘りおこせば何が出てくるかわからんといっておられた。
廃仏毀釈で幾つもの石仏が壊されて山に捨てられたのだという。
実際の姿がどこかに隠れているにちがいない。
ジグソーパズルが完成するのはいつのことか。
P1020520.jpg
2009.06.17(10:00)|貞治仏コメント(0)TOP↑
類は友を呼ぶものだろうか。
上石原の西光寺から五百メートルほど東に常演寺がある。
西光寺と同じように山門前の旧甲州街道沿いにおおきな常夜灯がある。
奉納 仁王尊と記されている。
P1020853.jpg

嘉永三年戍年五月
押立村 ・・・

この灯篭の基台にもぐるっとまわりに穴ぼこがあいている。
隙間もないくらいである。

P1020860.jpg

そればかりか、すぐわきにあるお堂の中にお地蔵さんがいるのだが、その顔も叩かれて傷だらけである。
西光寺ほど顕著ではないが顔だけでなくほかも傷ついている。
着物を着ているからよくわからないが、叩かれたような傷は確かにある。
蓮台にもあるようだ。
類は友を呼ぶというけれどこんな近いところでも似たものがあった。
灯篭に仁王尊とあるのは寺の境内に仁王堂があるからである。

P1020854.jpg


武州多摩郡府中領下石原村
女中念仏三拾人
明和元甲申年十一月

丁度犬をだいて住職が出てこられた。
住職は灯篭の穴ぼこに関しては知らないといってけれど、明和のお地蔵さんの顔にある傷に関しては江戸時代、賭博討ちがげん担ぎに叩いたものと話してくれた。
当時は石原宿のこの辺の寺は博徒に賭場として貸していた。
寺銭ていうぐらいだからねぇ。
さて、そうなるとあのおびただしい灯篭の穴もそうだろうか。
こういった穴ぼこは住職のいる大きな寺や神官のいる神社にはみあたらない。
大抵は道祖神場や村の鎮守の社など管理者のいないところばかりが多い。
住職はワシでまだ25代にしかならない、途中無住職の時代があったと話してくれた。
さては、そんな時代のなせる技か。
あるいは別の場所にあったものか。
やはり、お地蔵さんの顔を叩いたものと灯篭の穴ぼこは違うもののような気がする。
灯篭のまわりを大勢の子供たちが取り囲んで、年長が囃しながら拍子をとって一斉に叩く。
そんな光景が目に浮かぶのだが・・・。



2009.06.15(07:14)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
P1020875.jpg
京王線の西調布を降りた北側に西光寺がある。
旧甲州街道の上石原宿である。
山門前の広場に近藤勇の像が腕組をしている。
その隣に大きな常夜灯がある。
形のいい石灯籠である。
弘化三丙午年
石工 ○○光信
登戸 
吉沢藤三光信
という字が見える。
裏側には灯を入れるときの石段がある。
基台には唐獅子牡丹と虎退治の彫り物がある。
いやはや立派なものである。
P1020889.jpg
甲州街道側には地神塔がある。
堅牢地神とあり裏には嘉永五年壬子春二月
吉辰建立
石工 登戸 吉沢藤三光信
この灯篭や石塔の基台に穴ぼこがたくさんあけられている。

P1020891.jpg
灯篭の方の穴ぼこは水平面だけでなく垂直の面も凹んでいる。
ということは子供が草もちをついて遊んだなどというものではない。
それに高さがある。
小さな子供や女の子では無理だろう。
P1020893.jpg

P1020897.jpg
更に山門を入ったところに覆屋があってその中に穴ぼこのあるお地蔵さんと庚申塔がある。

庚申供養塔
奉造立諸願成就収
享保十七年壬子年十一月吉辰

貞亨二乙丑天五月 
奉造立為地蔵一体念仏講供養
武州多摩郡上石原村同行廿九人

穴ぼこは天部だけでなく顔までへこんでいる。
何としたことか。

2009.06.14(07:27)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
調布市の深大寺東、佐須五丁目にほとんど形をとどめていないほど、溶けてしまったといった庚申塔がある。
それでも町の人の信心は敬虔なのか覆屋にきちんとおさまり造花ながら花がたむけられている。
P1020825.jpg
しかし、この像を拝見すると驚いてしまう。
一体これは何だろうかと。
これが庚申塔だということは地元の「調布の石造物」というパンフレットに載っているからそうわかるのだが (左の写真)、そのパンフレットの写真は昭和五十二年ごろに調査したとき撮影したものと考えられる。
img092-.jpg

その写真では青面金剛像の下部に三猿がいることも判断できるから庚申塔なのである。
それから三十年ばかりでこんなに風化したわけだ。
もう庚申像なのか何なのか全く判別できない。
像の下には崩れた砂が山になっていた。
それは砂ではなく粉であった。
触るとどんどん崩れてくる。
あと何年もつかどうか。


ちゃんとした石工なら石仏を彫るのにこんな柔らかい石を選ぶことはない。
周りには素人がほったような石の顔がおいてある。
素人づくりなのだろうか。
それとも当時は堅い石で時代を経てもろくなってしまったのだろうか。
あるいは石で叩かれたり水をかけられたりして石が柔らかくなったのだろうか。
もう、そんな問いには答えてはくれまい。
もとは鉱山王何某の別荘の前にお堂があったものを大正十年ごろ移動したという。
その地の本来の庚申塔がどこかにあれば、個人のものなのかわかると思うのだが・・・。
ただ、地元の人の信仰は厚く、赤い紙をしき、赤飯を供えて、子供の疱瘡のまじないをしてきたものだと伝えられている。
2009.06.13(08:11)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
P1020842.jpg

調布の国領町にある矢ヶ崎稲荷社の片隅に三十センチほどの石が立っている。
ほとんど草葉に隠れてしまっているが、これが塞神だと伝えられている。
塞神は旧事本紀の第一巻である神代本紀・陰陽本紀にでてくる神様である。

いざなぎ、いざなみの尊は夫婦神で沢山の島や神を生んだ。
十四の島と四十五柱の神である。
最後に火の神を生んで、そのために焼かれていざなみの尊は神を退き黄泉の国にゆく。
いざなぎの尊は黄泉の国に赴き未だ作り終えていないと戻るようにうながすが、いざなみはウジ虫が這いすでに怪物に化していた。
驚いて逃げるといざなみは、よみの醜女を使わして八つの雷を伴って追いかけさせる。
いざなぎの尊は八つの雷に桃の実をなげて退散させ、十握剣で防いだ。
ついに平坂まで逃げたとき、持っていた杖を投げて地に突き刺し、ここから先に来てはならじと「ちびきの岩」をもって塞いだ。
その杖はふなどの神となり岩は塞神となった。
ちびきの岩は千人力で引きちぎった石であり、窪みのある石である。
杖は石棒である。
古くは村の境にこんな石を立てて悪霊を防いだのではなかろうか。
それはやがて丸石や石棒になり道祖神の具体的な形になっていったとすれば、こんな自然石は忘れ去られてまだまだどこかにころがっているかもしれない。
あるいはこんなに石を別の神様に仕立て直しているかもしれない。

国領七丁目あたりは矢ヶ崎さんという名前がおおく、同じうからの地であったのかもしれない。
同族の結束は古来から古い形の信仰をずっと守ってきたとも考えられる。
諏訪によくある御社宮司は神氏の族によって古代のふなどの神や塞神の形を伝えたものではないかと思っている。
山梨県のどうろく爺、どうろく婆などもそんなたぐいにみえる。

2009.06.12(08:02)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
調布布田天神の前に大正寺がある。
大きなお寺である。
その境内には幾つかの石仏や庚申塔、弁天、などがあるのだがほとんど自然石で庭石と間違えてしまいそうな妙典石がある。
P1020849.jpg
阿字の下に奉供養大乗妙典千部父母為・・・・とあるから妙典石である。
この石を見たらすぐに穴ぼこが目についた。
明らかに人口的な穴である。
五、六個の穴が確認できる。
硬い石のようだ。
こんな硬い石に穴を穿つのは簡単ではないはずだ。
この穴はなんだろうか。
元から穴のあった石を妙典石にしたものだろうか。
もとは塞神か道祖神石であったものではなかろうか。
P1020848.jpg
2009.06.11(16:19)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
下諏訪の慈雲寺に寄った。
丁度工事中で本堂の屋根の飾りは取り外されて境内にでかい図体をさらしていた。
まじかに見るとその大きさにおどろく。
P1020239.jpg
慈雲寺は鎌倉時代、建長寺、円覚寺の住持で元の高僧であった一寧一山によって開山された。
時しも武士の間で禅宗が盛んになったころである。
下社の大祝金刺満貞も深く一山に帰依し弟子となっていた。
丁度春宮の近くに寺を造っていたことから師の一山を招請し開山しようとしたが鎌倉の執権北条貞時の尊信厚く、鎌倉から一歩もださない。
一計を案じ、善光寺参詣にかこつけて立ち寄り開山したという逸話がのこされている。
P1020234.jpg
この寺に守屋貞治の地蔵があるというので訪ねたわけだが、その地蔵は牢屋のような地蔵堂におさまっていた。
いかに大事なものといえども、こんなはめごろしの格子戸の中にいれられると、牢屋のようで見る方もやりきれない。
元来石仏は野に置くために造られているのではないかとおもう。
この地蔵、ずっと守屋貞治といわれてきたが実は弟子の手によるものと断定されたらしい。
何らかの資料が発見されたらしい。
寺のパンフレットには守屋貞治の弟子政右衛門の作、左は渋谷藤兵衛、右が守屋貞治となっている。
小さい二体もおなじような形をしている。
顔以外は守屋貞治と区別はつかない。
蓮の花びらに施された線など見事というほかないじゃないか。
ただ、顔だけみるとやはり貞治とはどこか違うと感じてしまう。

P1020245.jpg
人間の顔の判別能力というものは随分細かいものだつくづくおもう。
だから美顔整形などというものがはやるのかもしれない。
ちょっと鼻でも高くすれば別人になってしまうからねぇ。
P1020240.jpg


2009.06.10(07:22)|貞治仏コメント(0)TOP↑
灯台もと暗しというけどねぇ。
地元にもあったんだ、こんなでっかい奴が。
ん! 椀状穿痕のある馬頭観音がね。
P1020720.jpg
五日市街道の砂川八番から北に入ると分かれ道にこんなでかい馬頭観世音の石塔があった。
高さは二メートル三十もある。
隣に石仏らしきものがあるけれど、それとの大きさの差は著しい。
こんな道はずっとここに住んでいる土地の人しか通らないからわからないものだ。
基台には幾つもの穴ぼこがあいている。

正面は 
      馬頭観世音
その下に 
砂川村
左に   
嘉永紀元戊申
冬十一月中浣建之
右に 
天下泰平
     国土安穏
とあり、
穴ぼこの基台には村の講中の人だろうか、ずらっと名前がきざんである。
P1020731.jpg
2009.06.07(21:07)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
前は村山貯水池といったが今は多摩湖となった。
その多摩湖の南側に清水というところがある。
青梅街道からの続き道でせまい割には車の往来がはげしく、古いお堂などあってもとっさに停めにくい。
P1020551.jpg
観音堂というお堂があったので何とか停めてみたが、鍵がかかっていて中には入れない。
お堂の西側には三基の石造物があり、真ん中は馬頭観音であった。
その基台にはみごとな穴ぼこがあいている。
東側に回ってみると丁度木を切ったところで剪定された枝が積まれていてよくみえないが、幾つかの
石造物がある。
基台だけの部分もある。
そこにも穴ぼこがみとめられる。
何が乗っていたのだろうか。
この観音堂は中に木彫の観音があり、東大和市の文化財に指定されているが外の石造物は文化財にはなっていないようだ。
P1020549.jpg
それにしてもこの穴ぼこ、何のためにあけたものだろうか。
この石の粉でも煎じて飲めば競馬で万馬券でもとれるというのか。
いやいや、こんな穴があけられたであろう時代には競馬なんかなかったにちがいない。

P1020543.jpg

こんなあなぼこを盃状穴という人もいるが、私は「椀状穿痕」(わんじょうせんこん)と呼ぶ。
ま、それよりも謎のあなぼこのほうがいい。


2009.06.04(10:35)|穴ぼこだらけの神様たち||TOP↑
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