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写真や絵手紙など牛鳴HPの玄関先です「牛鳴さんちのたからもん」

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志木の浅間神社境内にちから石が転がっている。
もう誰かがもちあげるなどということはないので土に埋もれている。
昔はこんな石をひょいともちあげる力自慢の男がいたのだろうか。
岐阜高山で100kgの金塊が強奪されたという。
男四人の仕業だというから一人当たり25kg、いまの男達は軟弱だぜと笑っているだろう。

(志木市富士浅間神社境内)
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2007.03.20(09:06)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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むかし若くして死んだ娘がいる
その親は悲しんで観音を頼んだ
どこかの石屋は心を込めて彫った
寺の和尚はねんごろに弔った
親は幾年も線香を立てた
やがて
その親も死に
観音は忘れられた
いつしか観音は墓の隅においやられた

現代の若い和尚は無縁の石仏を集めて
山をつくった

ときおり知らぬ人が線香をあげる
たまには花をあげる
そしてここに
レンズを向けた男がいる

(富士見市下南畑)

2007.03.18(10:43)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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ふるさと求めて花一匁
あのこが欲しい
あのこじゃわからん
お地蔵さんが欲しい
石だから重くてあげられない
頭だけでいい
相談しよう

勝ってうれしい花一匁
負けて悔しい花一匁
2007.03.14(20:02)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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仏様は裸足でいる。
どの仏様も裸足でいる。
蓮のうてなは柔らかいからだろうか。
それとも古代のインドでは履物がなかったのだろうか。
蓮の花といえども、これは石だから痛々しい。
ずっと立っておられるから足の裏はまめだらけかもしれない。
そのカールした裳で覆ってあげたい。

(池袋 祥雲寺の聖観音)
2007.03.09(09:21)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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富士山に登るには五合目まで車が入る。
そのまま登りはじめて八合目あたりで泊まり、翌朝出立すれば頂上でご来光が拝める。
帰りは砂の上を一気に五合目まで下ればよい。
すなわち一泊でいいのである。
私は写真を撮る為に何回も富士山の五合目周辺に登った。
車の中で仮眠して朝のシヤッターチャンスを待つなどということは何時ものことだった。
しかし、頂上に登ったことはない。
頂上から富士山は撮れないからである。
そんなに簡単な富士登山だが、昔の登山はそう簡単ではなかったとおもう。
一人で登ることは出来ないから先達に従うことになる。
八王子から陣馬の峠を越え上野原に下り大月を経て都留から富士吉田に向かう。
富士吉田の浅間神社でおまいりしてもすぐに登れるわけではない。
何日かの禊の日が必要だった。
馬返しから先は歩いて登らなければならない。
そこが一合目である。
今は一合目から五合目までの小屋はすっかり潰れてしまっているがかつては賑わったのだろう。
中の茶屋だけが今も残っている。

こうして富士山をきわめるのに何日かかったのだろうか。
登れる季節も決まっている。
どんなにしたって一年に二度も登れるかどうかわからない。
それを五十七回登ったという記念碑が近くの広福寺にあって驚いていたら、池袋の浅間神社には何と六十六回というのがあった。

そのうちにもっと新記録の碑が見つかるかもしれない。

(池袋要町 富士浅間神社)

2007.03.08(10:53)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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こうなると無性に猿を追いたくなってくる。
池袋にも富士塚があってそこの猿はかわいい親子猿であると、石仏図典の一行をたよりに探しにいった。
要町二丁目ということしかわからない。
池袋から都営地下鉄にのって二個目の千川でおりて電柱の番地表示を伝いながらあるいた。
途中で酒屋や小間物屋など古くからあったであろう店に飛び込んで「富士浅間神社」を訪ねてみたものの知る人はいない。
やっと探した富士塚はビルの谷間みたいな場所で、なんのことはない富士山どころか隣接するビルよりも低い。
やはり金網が張ってあり中には入れない。
これじゃわかるはずがない。
金網は野球場のバックネットぐらいでカメラのレンズも入らない。
天辺に社があってそこにくだんの猿がいるのか、いないのか、それもみえない。
中腹に大天狗小天狗がいる。
天狗なればその団扇をちょっと煽いで天辺の猿を一枚撮らせてくれないか。
いやはやとんだ猿探訪であった。
(要町 富士浅間神社)
2007.03.06(08:59)|石になった猿たちコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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石の仏像ばかり見ているとユーモアたっぷりの猿などが面白くなる。
下谷の富士塚に猿が門番をしているというので先だって訪ねてみた。
富士塚は囲われて網が張られ中には入れない。
確かにその鉄格子の門番のような猿が泣いていた。
泣いていたというのはアップしてみればわかる。
なんとも情けないありさまである。
顔は半分に割られて目の周りには黄色のペンキが塗られている。
両方ともおなじような状態であった。
さらにはこの猿の先代らしいものが近くにあったが笊のような金網を被っていた。
一体は顔がなくもう一体は手がとれていた。
いたずらかなんとも哀れである。
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2007.03.05(13:33)|石になった猿たちコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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牛の頭を乗せた牛頭天王を探して迷いに迷って左折禁止を犯してしまい罰金六千円。
たまたま自分の名前の牛にちなんで探したもの、高い探し物だったねぇ。
なんとか六千円取り返すには牛頭天王のご利益を頂きたく、昔のように縁起かついで「蘇民将来」と書いて貼っておこうか。

(久米川 白山神社)

2007.03.04(16:51)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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庚申は邪鬼を踏んでいる
その邪鬼は苦しそうでも悲しそうでもない
当然のような顔をしている
それが役目のような顔をしている
むしろ喜んでいるような顔をしている

だから庚申塔は邪鬼をアップする。
2007.03.03(10:00)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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富士山の吉田口五合目の近くに藤森稲荷神社がある。
姓が同じだから何となく興がわく。
富士山を映した志木の富士塚にもあった。
名前は不二森だがいわくはしらない。
そんな名前の講があったのかもしれない。
(志木 富士塚)
2007.03.02(08:22)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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ふるさとの大いなるものは諏訪の明神さま
とはいうものの
しげしげと眺めた記憶は薄い
いまやっと車で三時間ほどかけてたどりつき
眺めなおしている

神宮寺のわかされにある道祖神
彫りは深いがもう消えかかっていた

2007.03.01(08:42)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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