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写真や絵手紙など牛鳴HPの玄関先です「牛鳴さんちのたからもん」

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高く持ちあげられた如意輪観音の柱には禁葷酒と書かれている。
しかし、誰も酒を持ち込むものなどいない。
実は、もうここに寺がないのだ。
山門もない。
過疎化の村なのだ。
だからだれも酒など持ち込まない。

こいねがわくは、
この如意輪だけはずっとここに置いて欲しい。
いつまでもここで思案していて欲しい。
何時までも多摩の里を見下ろしていてほしい。

(青梅市小曾木)
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2007.01.31(09:37)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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いい木材が見つかったという場合、まず仏師へ話が飛んでゆく。
いい材には神が宿っているから仏像になるのがふさわしいからである。
同じようにいい石が見つかったという場合、石工へ飛ぶのではなかろうか。
砂岩でなければ石仏にするのは難しい。
其の石が舟の形に似ていたらたちまち神の舟になってしまうのだとおもう。
これもそんな良材ではなかろうか。

(八王子市山田 広園寺)
2007.01.30(08:54)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑

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地域の教育委員会などで記す石仏の記録には、その場所が地方名だけのことが多い。
この安政八年の狛犬も八王子の石仏という資料に上恩方とだけ記されていた。
上恩方は陣馬街道である。
随分探したが見つからず三回目でやっと龍蔵神社を探し当てた。
陣馬街道からわき道に入った行き止まりの道であった。
やっとさがしあてただけに喜びも大きい。
近づくのに霜柱をざくざくとふんでいるのにそんなことはいっこうに気にならない。
嬉しいということはそういうものである。
まして待ちわびたかのように擦り寄ってくる子犬であれば・・・。


(八王子市上恩方 龍蔵神社)

2007.01.29(12:09)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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五日市の伊奈地区は高遠の石工が住みついたことから伊奈と言われるらしい。
その伊奈の庚申堂におおきな庚申さまがいる。
頭上の卍はいたずらとは思えないから何かのおまじないかもしれない。
同じ色が頭にも顔にもみられるから大きな願掛けだろうか。
天井の飾り板が欠けているところを見ると据えるのに苦労したのが伺える大きさだ。
地元の言い伝えでは、文久年間に横沢から竹の上を引いて六人で半月かかったという。
そうだろう、そんなことは作り話ではない。
村の人はこの庚申さまにいろんなことを頼んできたのだ。
お堂には金(かね)の草鞋や穴の開いた貝、幟、大きな絵馬が残っている。
今でも花が絶えないしお米やお神酒がそなえられている。

(あきるの市伊奈)
2007.01.28(09:18)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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いっぺん見たら何故か気になってずっと覚えている。
個性とはそんなものか。
この目の青いお地蔵さんがそうだ。

石仏の中で一番多いのはお地蔵さんだ。
石仏の写真を撮っていると、よほど変わっているか、ひとなつっこく話しかけてくるような顔でないと、あぁ何時ものお地蔵さんかとついいい加減になってしまう。
それは自分の側にあることなのだが・・・・。

お地蔵さんは何時でもやさしく慈悲深い目をしている。
石だからその半眼が開くなどと想像したことはない。
ところがこのお地蔵さんはどうだ。
私のような昏昏地に出会ったら青い目をかっと見開いて睨み据えるんじゃなかろうかとぎょっとした。

さいわい今日のところは睨まれなかったが・・・・

(青梅市二俣尾路傍)
2007.01.27(08:28)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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冬の地蔵堂など訪れるものなど誰もいない。
今年は暖冬とはいうものの北風は身に沁みる。
誰も片付けない落ち葉は窪地に溜まって一層殺風景にしている。

冬の陽はありがたい。
お地蔵様のようにありがたい。
こうして写真を撮っていると背中に感じるのだ。

(八王子市堀の内 地蔵堂)

2007.01.25(08:41)|石仏賛歌コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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弁天さまを訪ねていると、とぐろを巻いた蛇の頭に人の顔を載せたものだったり、頭に鳥居とか蛇を載せた姿だったのする。
手は六本あったり八本もあったり、顔は老人のこともある。
しかし、やっぱり弁天さまといえば妙齢の女性の姿がいい。
片足を投げ出して琵琶を弾じている姿がいい。
石仏にはうら若き女性は少ないからねぇ。

こんな苔むした弁さまに逢うと水をかけてたわしでこすって綺麗に洗ってやりたくなる。


(富士見市勝瀬 護国寺)

2007.01.24(09:23)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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地獄は嫌だというのなら今からでも遅くない。
善行をすることだ。
うまくゆけば天界行の切符が手に入るかもしれないぞ。
地獄の沙汰も現金次第ちゅうからねぇ。
ま、しかし・・・
天界でも輪廻は終わらない。
天界では快楽に限りがないとはいうものの、
やがて天人も五衰して臨終となり次の道に迷うことになる。
五衰の苦しみは快楽が長ければながいほど多く、地獄のそれよりも十六倍も苦しいというから決していいところではなさそうだ。
さらに天といえども次は地獄に落ちないという保証はない。
(茅野市金沢 大六天)
2007.01.23(10:07)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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さて私は閻魔王の裁きを受けたとしても地獄行きは間違いなさそうだ。
なぜかって、よいことなど何もしてないからである。
地獄は苦しかろうからあらかじめ源信の往生要集で様子を知っておく。
さて須弥山の南にある閻浮提からその地下深くにいやおうなしに落下してゆく。
そこは等活地獄、ここで体は粉々に砕かれ、涼しい風とともに再生し、再生してはまた砕かれること五百年。
次は黒縄地獄へ落ちる、その苦しみは十倍、黒縄をうって体に線を引き鋸や斧で切られる、切られてもきられても再生する。
その下は衆合地獄、鉄の山に挟まれて潰され、潰されては再生する。
さらに叫喚地獄、熱い鍋で煮られ煮えたぎった銅を呑まされる。
さらに大叫地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄と・・・・もういい。
どんなに苦しくても決して死なないのだから。
やがて生き返ってまた何れかの六道に迷うのだから。
たとい天に昇ったとしても五衰して果てるのだから。

(練馬 長命寺)
2007.01.22(08:25)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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罪悪の判断がつかない子供が死ぬと何の罪もない筈なのに三途の川を渡ることが出来ない
賽の河原でいつまでも石を積むという責め苦を負う
かよわい手を血にそめながらやっと幾つか積み上げると極卒がきて崩してしまう
泣きじゃくっても「オレを恨むな親を恨め」と
罪がないのではなくて先に死んで父母を嘆き悲しませているという大罪があるのだという
そんな子をお地蔵さまが救ってくれるというので、その子が生前着ていた涎掛けをかけて「この匂いがしたら私の子です、どうか救ってやってください」と親は何時までも涎掛けをお地蔵様にかけてやる
本当は九十日の卒哭忌を過ぎて、嘆き悲しむことをやめるのが賽の河原から救う方法なのだけれど・・・・
それを知らぬ親は何時までもお地蔵様に着物を着せるので、このお地蔵様は厚着でぽんぽんだ

(富士見市 大応寺)

2007.01.21(09:18)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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閻魔王のところには人頭杖(にんとうじょう)があって裁判の結果はこの杖から知らされる
忿怒相の口から火を吐けば重く、もう一方から白蓮華が生ずれば軽い
しかし、閻魔王が最後の審判ではない
さらに六七日には変成王、七七日に泰山王の審判を経て審判は終了し六道の辻に立って何れかの門を自ら選ばされる
どの門を選んでも結果は審判によってきめられているのだ

この世でもないあの世でもない
中陰という四十九日を旅した後は六道の何れかに往く
地獄か餓鬼か畜生か
修羅か人か天か
それは自分が一番知っている

そんな迷信をと信じない者が、良い儲け話があるとかつがれるとすぐに信じてしまう今の世の中だ。
地蔵十王経は偽経だと省みられないが石仏はずっとこれに従っているし今でも葬式はそうしている。
信じないまでも知らなければいけないことじゃなかろうか。

(八王子 真覚寺)
真覚寺の中庭に奪衣婆、人頭杖、天秤がそろっておいてある

2007.01.20(08:52)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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ふた七日には初江王の審判を受ける
衣領樹の枝のしなり具合はこの王に報告されている

み七日には宗帝王の前で邪淫の戒に対する裁きをうける
ここには蛇と猫がいて嘘をいったら噛み付かれるという

よ七日には五官王の前で不妄語戒の裁きをうける
そこには秤量舎(おうりょうしゃ)があって天秤にかけられる
罪の重さは天秤でたちどころに判ってしまうから業の秤という

五七日には閻魔王の前に引き出される
淨玻璃の鏡があって生前のことはすべて写しだされるから言い訳は通らない
だから業の鏡というのだ


こんな鏡が今の裁判所にも欲しいものだ

2007.01.19(09:06)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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子供の頃お袋の里帰りで、名は知らないが中金子の寺についていったことがある。
堂の壁に大きな地獄絵がかけられていた。
子供ながらに地獄絵は興味をそそるものだった。
「三途の川を渡るとソーヅカの婆がいてナ、着ているものを剥ぎ取ってしまう・・・」
地獄絵はそこから始まっていた。

人は死ぬと長い旅にでるという
暗い八百里の山道を星の明かりだけをたよって登る
人には見えない微細な姿で、意識しかないから意生身という
食べるものは香だけだ
七日目に秦広王に逢い生前に犯した五戒の審判をうける
その先は濁って深い葬頭河だ
そこには山水瀬と江深淵それに有橋渡の三途があって
五戒を犯した罪の深さによってわたる場所が決まるという
頭陀袋から六文銭をだして船でわたる
対岸には懸衣嫗(けんねう)がいて衣服を剥ぎ取られる
それを懸衣翁に渡し衣領樹にかける、すると生前の罪の深さによって枝のしなりが違うのだ

懸衣嫗は奪衣婆とか葬頭河の婆といわれている
こんな顔をした婆であろうか

2007.01.18(09:19)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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これは庚申さん
ついに三猿が主役ですねぇ

違う
後ろを見よ

や、五輪だ

下部は崩れ落ちてしまったから確認できないが五輪塔のようである。
ここは禅寺、五輪塔であっても不思議はない。

(五日市 玉泉寺)
2007.01.17(09:23)|石になった猿たちコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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信州のある地方では雨落ちの石を子供のお食いぞめに噛ませるまねをするという。
近くの阿豆佐味天神には去年までなかった歯固め石納所ができていた。
お宮参りに渡されて100日目に食べさせるマネをした後ここに納めるという。
こんな風習が復活するのはうれしいことだ。
(立川 阿豆佐味天神)
2007.01.16(09:45)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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目当ての撮影も早く終わったので帰りの通り道に何かないかと地図を見ていると近くの川口町にある竜正寺に印があってアミダと記してあった。
以前調べて訪ねたいと記しておいたものだ。
その場所は山に入るような狭い道で人通りのすくなかったから何とか見つけることが出来た。
となりに熊野神社があったのでそこからはいる。
探したけれど阿弥陀さまは姿をあらわさない。
裏山の墓までくまなくさがしたけれどない。
やっと見つけたのはもともと寺に入る石段の脇であった。
隣の熊野神社にも何かないかと欲張ったから見つからなかったのだ。
台座には宮ケ谷戸念仏講中 安永二年とある。
宮ケ谷戸の阿弥陀堂から移したものだという。

この阿弥陀さま
眺めていると柚木にあった観音さまに似てくる
ひとなつっこい顔に大きな鼻
太い首に厚い胸
きっと八王子のお百姓のとっさまが
モデルになっているんじゃなかろうか
この印を結んだ指を見ればわかる

(八王子川口町 竜正寺)

2007.01.15(10:50)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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手持ちの地図には載っていないような
小さな観音堂で写真を撮っていると
散歩の人が話しかけてきた。
話しているうちに、
こんな小さな寺でなくもっと立派な寺が近くにある
とばかりに「いいところがある」と教えてくれた。
そこは上福岡の蓮光寺というとこであった。
大きな寺よりも小さなところの方が収穫は多いものだが
これも何かの縁だからと訪ねてみた。
門前に大きな観音さまがいる。
普段仏像を裏から見る機会はすくない
それが広い場所なのでぐるっとまわってながめられる。
わずかに赤い色が裳に残っている。
腕がひとつ折れているというのに。
最初はどんなお姿だったのだろうか。
はでやかに見下ろしていたのだろうか。

冬空に
ゆうゆうと
すわっている

(上福岡 蓮光寺)
2007.01.14(09:10)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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ここに一匹の馬がいる
けっしてサラブレットのような馬ではない
ずっと荷物を運んでいた賃馬である
重くてもへこたれず
よくいうことを聞いて
いつも元気に歩いてきた
馬主の吉田何某は
空荷でもけっしてこの馬に乗るようなことはしない
ずっと可愛がってきた

今でも馬の足は泥まみれだ

(富士見市鶴馬)

2007.01.13(11:47)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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明治の廃仏毀釈で首をとられた観音さま
その数三十二体
頭は成木川に捨てられたか見当たらない
ところは飯能の岩渕
岩盤に掘られた穴の中にいる
岩井堂観音
なにも
こんなさびしいところで処刑されなくても
いずれも一尺か二尺のおすがた
嘆かわしい

2007.01.12(16:58)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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このお地蔵さんは空に舞い上がってずっとこの村山の安全を見て廻った。
だって空飛円盤に乗ってるじゃないか。
それなのに昨今は電線ばかり。
最後に飛んだとき引っかかって手を折ってしまった。
以来飛ばずに見守っているようだ。

(武蔵村山市 長円寺)
2007.01.11(09:37)|未分類||TOP↑
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これなんぞ
どうやら首のとれた子育地蔵と閻魔のようだが
どうしてこんなところにいるのだろうか
もともと石仏には石仏の領分があった
道を広げうちをこしらえて
石仏の領分は奪い取られ
墓地におしこめられる
そうするのも人間だし
石仏をこしらえたのも人間だ
作麼生

2007.01.10(18:40)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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是ヨリ右江戸道

ちょっと昔はこの道標を見てみんな江戸に通った
今は東京からこの道標を訪ねてくる

もっともそんな好事家は吾等だけだが・・・

(埼玉県富士見市鶴馬)
2007.01.09(08:32)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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大きな花の冠
石の冠じゃ
重くないですか

いいえ
もうわたしは
石になってしまったから
重さは感じないのです

(飯能 能仁寺)
銘に守田茂兵衛娘也十七歳 寛文十一年とある
2007.01.08(17:29)|石仏賛歌コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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多摩には五輪地蔵がいくつかある。
其の中では白眉だ。
大きさも見上げるほどだ。
後ろに光明真言が刻まれている。


(東大和市 三光院)
2007.01.07(11:07)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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お地蔵さまなのに鎧兜に身を包み武器を持って馬にまたがっている、そんな勝軍地蔵がいる。
不思議なことだ。
この勝軍地蔵はどうだ。
何とりりしい顔をしている。
七五三のお参りに装束きたてた男の児のようじゃないか。

(秩父 金昌寺)
2007.01.06(19:29)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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大悲願寺の五輪坂から下がると岩走神社がある。
その道下に庚申塔があって隣には大きな五輪塔の上部だけがある。
(写真右、左は五輪坂の五輪塔の下部)こうしてみるともともと一対の五輪塔だったのではないかとおもってしまう。
五輪塔はもともと安定の悪い構造だから何かの拍子に倒れて坂を落ちたとも考えられる。
場所は五輪坂の直下から300メートルほど下流に当たる。
大きさは丁度合うにしても石質は私には分からない。
2007.01.05(08:12)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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諏訪には石仏が多い。
峠や分かれ道には道祖神や石仏が並ぶ。
それが
今では広告の鉄看板まで並んで風情を壊す。
困ったもんだ。

2007.01.03(09:42)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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立川の普済寺は国宝の六面石幢があることで高名なのだが火災のせいで建物はすっかり新しくなっている。
正面の地蔵堂を覗くと一体だけ真っ黒のお地蔵さまがいる。
おそらく火災で炎を被ったのだろう。
火災は放火によるものとされているが、お地蔵さまが身代わりになったのか負傷者はいなかったという。

2007.01.02(08:45)|未分類||TOP↑
秩父の皆野に薬師免の自然石卒塔婆がある。
案内には「大日如来と年号がはっきりと読み取れる」とあったが
とても判読できない。
そこで水をかけてみた。
かろうじて大日如来をあらわす阿の種字と蓮の花が浮かんできた。
文保元年十月十日も読めるようになった。
硬い石も時間には勝てないようだ。


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2007.01.01(09:06)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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Author:牛鳴

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