ホームページの紹介
http://www5.plala.or.jp/gyumei/
写真や絵手紙など牛鳴HPの玄関先です「牛鳴さんちのたからもん」

はりまぜ屏風にある「道灌山吹の里」の絵のいわれを聞くと「これを知らぬとはお前は歌道に暗いな」といってご隠居が七重八重の歌を書いてくれた。
持って帰ったところへいい塩梅に雨が降り出し、友達が提灯を貸せといってきた。
「提灯じゃ具合がわるい、雨具を貸せといってくれ」「雨具はいい、傘をもってるから」「持っててもいいから、雨具を貸せといったら提灯をかしてやる」「ならば雨具を」というと七重八重の歌を差し出した。
「なんだこりゃ疱瘡のまじないか」「これを知らんとはお前も歌道に暗いな」「角が暗いから提灯を借りに来た」ごぞんじ落語の道灌である。
その山吹の里に山吹の枝を差し出したというかの紅皿の墓がある。

P1030114.jpg

新宿六丁目、新宿文化センターの裏にある大聖院の駐車場の際である。
墓といっても青石の板碑で十三仏の種字のようだ。
役者などがよってたかって紅皿の墓に仕立てたものか。
守田かん弥の石柱がたっている。
この板碑の真ん中あたりに大きな凹みがある。
何の凹みだろうか。
焼夷弾でも破裂したものか。
このへんは芸能人の信仰が厚い所だ。
芸能人の卵がげん担ぎに叩いて破片を懐にしたものか。
ま、身を粉にして人を助けるのが神様だから、紅皿も神様になったに違いない。
山吹ひと枝でねぇ。
歌道に明るいといいことがあるもんだ。

P1030116.jpg

2009.07.04(06:47)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
P1030071.jpg

関東地方には秩父産の緑泥片岩を使った板碑、すなわち板石塔婆が多い。
それらは地域によって丁重に保存されていたり墓地の片隅に打ち捨てられていたりする。
東村山に廻田というところがある。
ずっと「かいでん」と読むのだと思っていたら、「めぐりた」というらしい。
というのは不動さまの板碑を探していて、「かいでん三丁目のお不動さんってどこですか」と訪ねたら「めぐりた」と教えてくれた。
くだんの板碑はこんな形であった。
スチール製の覆屋の中にコンクリートの台に固定された二つの破片である。
案内には  石志趣者読妙経一百三十六部
        読妙経交名板碑  応永十三年丙戌○十六日
        百人以上の法名 
とある。
橋として使われて四つに割れたもので其内の二つということである。
穴の意味については何も触れていない。
板碑はその役目を全うしたあとは石材として使われた。
この大きさなら立派な橋がかかる。
橋なら加工しないですむ。
そのまま川に渡せばいいのだから。
長さだって二メートルにおよぶ。

P1030074.jpg

これを見て、この穴をみて、大抵の穴ならば子供がままごとに叩いたものだろうとか、石の粉を薬にしたものだろうとか、博徒がげんかつぎに欠いたものではないかとか、何かの呪いかなどといい加減ながら想像できるものである。
これは、だめだ。
全く想像の及ぶ範囲を超えてしまう。
橋に穴を穿つ意味は見出せない。

P1030076.jpg

何の気なしに裏をのぞいてみた。
するとやっとわかった。
この板碑、橋にするとき裏を使ったのだ。
さすがに碑文を踏んでわたるには忍びなかったのだろう。
橋の角石などはよく叩かれて椀状穿痕がのこっている。
これもそのたぐいじゃないか。
えくぼのように幾つかの椀状穿痕が認められる。
その一つが貫通したのだ。
あるいは他にも貫通したしたところがあって橋は折れてしまったのだろう。
そう、だから前の穴は片岩特有の剥がれ方をした跡だったわけだ。
単に叩いただけなら剥がれたような穴にはならない。

2009.07.03(15:41)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
インターネットが身近になって便利になったものに地図がある。
グーグルアースという地図サイトはその場所の映像を表示してくれるのだ。
道路であればまさに車に乗って案内してくれるようなものだ。
石仏を訪ねるということは場所の特定が大変なものだが、この地図を使うと車の通れる道か、駐車できそうな場所かがわかるし、道の脇にある石仏なんかそのものが見えることになる。
これが田舎の片隅まで網羅してくれればこの上ないのだが、今はまだそこまではいってない。
「東京の力石」という本に東久留米小山の黒目川の中橋の近くに力石があるというのでグーグルアースで確認したら、すごい! 、画像が表示された。
これならわけはない。
あとはカーナビに位置をセットするだけだ。

P1020937.jpg

書籍の力石には穴があいていたから、椀状穿痕だと睨んで見に来たわけである。
くだんの力石は中橋のたもとにある石橋供養塔の前に据えられていた。
一番小さな石の裏側には大きな穴がある。
一番大きな石の穴はモルタルで埋められている。
ほかにも幾つか穴が認められる。
力石にはしばしばこんな穴があいている。

P1020939.jpg

持ち上げる時手をかけたものか、重さを計った跡か、あるいはほかに意味があるのか。
不思議な穴ぼこである。
ところが、石橋供養塔の台座にも穴ぼこがあった。

P1020944.jpg


この石橋供養塔は明治二十三年四月という銘がある。
するとこの穴ぼこ、つい先ごろあけられたものじゃないか。
力石がずっとここにあったものか、それはあやしい。
案内板にはこの石をもって坂を登ったとある。
確かに前の道は急な坂道になっている。
すると力石の穴ぼこもおなじころにあけられたものか。

各地の力石をみると江戸時代がおおい。
すると石橋供養塔の建つ前から力石はあったはずで、この辺が辻になっていたか、神社などがあったものか。
ただ最初から力石に穴があったかどうかはわからない。
そのことを覚えている人がまだ生きているんじゃないかとおもったりする。
それにしても、こんな石どこから運んできたのだろうか。
鷹野虎四氏によると江戸川区だけで82か所332個を確認したという。
異常な多さではないか。
こんな石が急に湧いてくるはずはない。
力石になるまえにも以前の神様として村境にあったにちがいない。
道祖神や庚申塔ができる前はその役目をずっとしていたにちがいない。
こんな石は全国の神社などに存在する。
その数はいったいどのくらいになるだろうか。



2009.07.02(08:00)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
中野区鷺の宮に福蔵院という立派な寺がある。
屋根瓦をすきこんだ塀で囲まれた入り口をたどると、左側に随分高い馬頭観音が立っている。

P1020801.jpg


これだけの高さになるとひっくり返ることだってあるだろう。
像は傷ついて補修された跡がなまなましい。
持ち上げられた足の部分には馬頭観世音菩薩と天下泰平 国土安穏の文字がある。
側面には天保五午年 講中三十七人とある。
一人頭いくらかかったものか、立派なものだ。
その台座の返り花には、かまわず穴ぼこがあいている。

P1020803.jpg

よくみないと返り花の模様と勘違いしそうだ。
ぐるっと穴ぼこがあいている。
そりゃそうだ、これだけの高さがあればここにしか穴は穿てないだろう。
さてさて、何のための穴ぼこか。
ここに来る前に隣の八幡神社で力石に穴ぼこがあいているのを見つけた。
この寺はその別当寺である。
謎はなぞをよぶものだ。

2009.06.29(07:35)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
P1020785.jpg

西武新宿線の鷺の宮で降りて南側に出ると左手に八幡神社の案内がある。
割と新しくきれいなお宮だ。
境内をグルっと巡ると奥まったところに力石が横たわっている。

P1020788.jpg

全部で十二個ほど、ほどといったのは草に覆われていてよく見えないからである。
それぞれには重さと持ち上げたものの名前がしるされている。
中には新太郎という名前が幾つもでてくるから、よほどの力持ちがいたのだろう。
力石は各地のお宮でよく見かけるものだけれどこんなに沢山あるのにはびっくり仰天である。
三十六貫余とか五十貫余などというのもみえる。
「でぶでぶ百貫でぶ電車にひかれて・・・」などと子供のころ囃したものだが、百貫目とはどのくらいなのかは知らなかった。
一貫目は3.75kgだから五十貫の石は180kgを超える。
そんな石をひょいと持ち上げるような力持ちがほんとうにいたのだろうか。
いたら爪の垢でも煎じて飲みたいものである。

この石、よく見ると穴があいている。
自然の石の穴ではないようだ。
これは道祖神や庚申塔によくみられる椀状穿痕ではないだろうか。
これほどの力持ちにあやかろうと石で叩いて粉でも舐めたのだろうか。
あるいはこんな力持ちの強い子に育ってほしいと、子の親がお参りにきて願かけに石で叩いたのだろうか。
いきおいで爪の垢でも・・・などといってしまったが、こんな石は舐めたくはない。
さて、力石、今となっては草に覆われて覗く人もいない。
ただ、どくだみの花がひっそりと彩っていた。
2009.06.27(09:02)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
プロフィール

Author:牛鳴もうもう
トラックバックご容赦
お気にとまつたら拍手でもおねがいします。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
Powered By FC2ブログ