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写真や絵手紙など牛鳴HPの玄関先です「牛鳴さんちのたからもん」

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小曾木街道のすこし北、成木川にそって下ると成木一丁目に安楽寺がある。
成木山愛染院といい、江戸時代の建物が点在する広い寺境である。

鐘楼の西手に二体の地蔵像が立っている。
大きな立像でともに同じ石の台に並んでいる。

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その右側の地蔵の蓮の台座をみるとぐるっと蓮のうてなの周りに飾りであるかのごとく椀状穿痕が並んでいる。
石の台上に立つと蓮のうてなは子供でも手がとどく高さになる。
椀状穿痕が一方だけなのはもとは違う場所にあったものか、あるいは時代がちがうものか。
こんなことを一人でするわけはない。
大勢で一緒にあそんだものだろう。
もくもくと叩くわけはない。
どんな囃子であそんだものか。
子等が取り巻く様は思いうかべられるけれど、囃し立てる詞まではおよばない。

2012.04.23(16:16)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
青梅市の街道に小曾木街道がある。
青梅から埼玉県に通じているが概して山村の中である。
青梅市街地から北に外れると寒念橋がある。
なんとも佛々しい名前で、そこが黒澤地区であるのだが黒澤観世音と黒澤不動尊という小さなお堂が建っている。
地域の共同墓地で隣には龍雲寺という寺もある。
墓地の入り口に三界萬霊供養とかろうじて読める地蔵が立っている。
墓地の入り口には六地蔵が普通だが見当たらない。
お堂の中にはなかなかの不動尊と観音像があって念仏の集まりがあるらしく、人はいないもののいまさっきまでいたかのようなぬくい気配が感ぜられる。
このあたり人家はそれほど多くないのだが昔からの信仰の場であるのだろう。
観世音のお堂のまえにおじぞうさんが立っている。
そのお地蔵さんなんだけれど、頭が大きく凹んでいる。
「どたま、かちわって、脳味噌えぐりだしてやろか」なんて悪たれることがあるけれど、相手はお地蔵さまである。
どうしてこんな姿になったものか。

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ならずものに石でたたかれたのか、痛んでいるのは頭だけでなく、顔も鼻がない。
肩のにも凹みが見て取れる。
これを見たとき、とっさに明治の廃仏毀釈を思った。
あの時代、その筋のお達しで石仏の頭は落とされた。
その難をぬがれたとしてもそんな時代を経験した子等は平気で頭を叩いただろう。
それを見て大人は何もいえなかったにちがいない。
そうでもなければこんな罰当たりなことはしまい。
日本人の心には長い歴史を通じて不幸あらば南無と声に出さずとも心に念ずる気持ちが備わっているものだ。

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小曾木街道に面したところにはもう一体の石仏が立っている。
この延命地蔵もよくみると首が折れたものをセメントでつないでいる。
それに蓮華座も欠けている。
こちらには椀状穿痕はみとめられないのはずっと倒されたまま放置されていたに違ない。
なんともむごいことである。


2012.04.14(14:06)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
毎日新聞の余禄は一段の短いコラムだから内容も文章も吟味してあって光っていいる。
昨日の余禄に長野県の栄村を向いた飯山市の六地蔵の話が載っていた。
昨年の大震災は東日本大震災という名前がついたけれど翌日には新潟県に近い長野県北部の栄村まで被害が及んだ。
その栄村の西側に隣接する飯山市の西大滝地区にある六地蔵がいっせいに九十度向きを変えて東側の栄村を向いたというのだ。
西大滝地区の地震も大きかったけれど幸い栄村ほどの被害はなかった。
お地蔵さんは雪に埋もれていて、雪が溶け姿を現して初めて村人は気がついたという。
雪で倒れなかったけど大きなゆれが台座の上の石仏をまわしたのである。
被害の大きかった栄村を見守ったにちがいないと地元の人々は語る。
さて、この栄村を向いた地蔵はそのまま残して欲しいものだ。
日本列島災害は必ずやってくることを語り継いでほしいものだ。

2012.03.13(10:17)|石仏賛歌コメント(0)TOP↑
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蔵村山市本町に曹洞宗の長円寺がある。
青梅街道の北に面していてこのあたりでは大きな寺である。
その長円寺の山門前に変わった椀状穿痕のある石塔がある。
大きく筆子中とあるから筆子塚のようだ。
正面に敕住總持寺當山廿三世魯山全領大和尚禅師。
側面にある銘は明治第八年龍次乙亥夏林鐘穀旦壽塔と読める。
高さはおよそ三メートルもあるだろう。
当時はこの寺が寺子屋であったのだ。
この礎の下から二段目に椀状穿痕がある。
この山門前には幾つかの石造物があるけれど椀状穿痕のあるものはこの壽塔ともうひとつ宝暦庚辰年の銘がある結界塔だけで他には椀状穿痕は認められない。
青梅街道の入り口には膝を立てた地蔵の石像が二基入り口を守っているかのごとく並んでいる。
そこから山門までは三十メートルばかりあって左右は駐車場などになっているから、このあたりから移築したようだ。
この礎石の椀状穿痕は二段目に顕著で三段目にも小さいながら認められる。
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二段目の礎石は幅1.4メートル高さ40センチで前面に6ヶ、裏面に小さいもの1ヶがある。
また、三段目の前面にも小さいもの2ヶがある。
この椀状穿痕が不思議なのはその形である。
多くみられる形はあたかも紡錘型の石で叩いて穴にしたような杯状かお椀状を示す。
ところがここの穿痕の中の二つだけに道具を使って凹ませたような跡がある。
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あたかも鉄の切れ端か陶器のかけらかを押し当てながら回して得た凹みのように見えるのだ。
差し渡し65mm 深さ12mm 中心のくぼみ7mm
二つの形と寸法は同じである。
この二つの穿痕のほかにあるものはほぼ同じ大きさだがくぼみ方はお椀状である。
位置的には規則性はなさそうである。
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さらに裏側にひとつある小さな凹みもかわっている。
とがった釘のようなもので突いてあけたと思われるのだ。
径30mm深さ7mmほどで尖った鑿のようなものを使って石で叩いたように見える。
この近くの地蔵堂で長老に聞いたことがある。
(H22-9-22石畑の地蔵堂参照)
子供はみんな叩いた。
叩く石は個人ごとにお気に入りの石を持っていて叩くときは家から持ってくると。
中には紡錘型の石ではなく鉄の道具をもっていたとしてもおかしくはない。
私だって子供のころは釘打ちにつかう五寸釘を大事にもちあるいていたのだから。
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もうひとつの宝暦庚辰九月の結界石台座にある椀状穿痕は大小計10ヶでいずれも良く見かける形の杯あるいはお椀状のものである。
2011.12.13(09:39)|穴ぼこだらけの神様たちコメント(0)TOP↑
ブログの拍手という項目でコメントが書けるとは思っていませんでしたので、以前の記事に書き込みして頂いた方々には失礼しました。
コメント欄に悪戯された時期がありましたのでしばらく書き込みを禁止していたのです。
今は解除していますのでよろしくおねがいします。
こんなジャンルの場合は訪れてくれる方も少なくコメントは大変ありがたくおもいます。
2011.09.16(08:26)|未分類コメント(0)TOP↑
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Author:牛鳴

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