
蔵村山市本町に曹洞宗の長円寺がある。
青梅街道の北に面していてこのあたりでは大きな寺である。
その長円寺の山門前に変わった椀状穿痕のある石塔がある。
大きく筆子中とあるから筆子塚のようだ。
正面に敕住總持寺當山廿三世魯山全領大和尚禅師。
側面にある銘は明治第八年龍次乙亥夏林鐘穀旦壽塔と読める。
高さはおよそ三メートルもあるだろう。
当時はこの寺が寺子屋であったのだ。
この礎の下から二段目に椀状穿痕がある。
この山門前には幾つかの石造物があるけれど椀状穿痕のあるものはこの壽塔ともうひとつ宝暦庚辰年の銘がある結界塔だけで他には椀状穿痕は認められない。
青梅街道の入り口には膝を立てた地蔵の石像が二基入り口を守っているかのごとく並んでいる。
そこから山門までは三十メートルばかりあって左右は駐車場などになっているから、このあたりから移築したようだ。
この礎石の椀状穿痕は二段目に顕著で三段目にも小さいながら認められる。

二段目の礎石は幅1.4メートル高さ40センチで前面に6ヶ、裏面に小さいもの1ヶがある。
また、三段目の前面にも小さいもの2ヶがある。
この椀状穿痕が不思議なのはその形である。
多くみられる形はあたかも紡錘型の石で叩いて穴にしたような杯状かお椀状を示す。
ところがここの穿痕の中の二つだけに道具を使って凹ませたような跡がある。


あたかも鉄の切れ端か陶器のかけらかを押し当てながら回して得た凹みのように見えるのだ。
差し渡し65mm 深さ12mm 中心のくぼみ7mm
二つの形と寸法は同じである。
この二つの穿痕のほかにあるものはほぼ同じ大きさだがくぼみ方はお椀状である。
位置的には規則性はなさそうである。

さらに裏側にひとつある小さな凹みもかわっている。
とがった釘のようなもので突いてあけたと思われるのだ。
径30mm深さ7mmほどで尖った鑿のようなものを使って石で叩いたように見える。
この近くの地蔵堂で長老に聞いたことがある。
(H22-9-22石畑の地蔵堂参照)
子供はみんな叩いた。
叩く石は個人ごとにお気に入りの石を持っていて叩くときは家から持ってくると。
中には紡錘型の石ではなく鉄の道具をもっていたとしてもおかしくはない。
私だって子供のころは釘打ちにつかう五寸釘を大事にもちあるいていたのだから。

もうひとつの宝暦庚辰九月の結界石台座にある椀状穿痕は大小計10ヶでいずれも良く見かける形の杯あるいはお椀状のものである。